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宇宙の片隅で想うこと、感じること、考えること
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2009年07月02日(木) 
 
今自室で聴いています。今夜はピアノ・ソナタとプレリュードをお伴に流して。

今まで、どちらかというと軽く見ておりましたが、私、この人のこと。甘ったるくて弱々しい様な気がして。

でも、やっぱり美しいのです。甘いようだけれどたるくはないのですし、弱いようだけれど繊細な優しさに溢れているのです。

私、もう自分の命も人の命をもを擦り減らす無茶な闘い方に疲れ果てておりまして、近頃。もう少し弱い自分をも周りの大切な人の微妙な想いをも、もっと愛惜しんであげようと想い初めておりまして。

ショパンは市民革命と保守反動の壮絶な葛藤の時代に生きました。彼の祖国ポーランドは弱小国で、近隣の大国に蹂躙されっぱなしでした。それでも青春時代には激しい闘志を露わにしたりもしましたが、現実の世界を動かす強大な力にはとても逆らい切れなかったのです。

でも、彼は決して諦めた訳ではないのです。現実の闘いでこの不条理な世界を変えられないのならば、芸術の力に由って人間に生きる希望と勇気を与えようと。そして、出口の見えない闘いに倦み疲れた勇敢な友と優しい婦人に心から満たされて安らげる一時を捧げようと。

実際のショパン本人が心の内で何を想っていたのか、私は詳しく知りませんし、それは誰にも(ショパン当人にさえも!)分かり得ないことなのかも痴れません。

し かし、私は彼からの命がけのメッセージとしてこのように受け取っております。「生きろ!闘え!感じろ!この世界のどうしようもない醜さに決して屈すること なく、人間にとって失ってはならない大切な優しさと愛情を最後まで守り抜け!それこそが、それだけが、人間というものの大切な幸せに通じる唯一の道だ!」 と。

二百年後の極東の港町で同じように呻き悩んでいるこの私の心からの熱い讃辞を、天国のショパンは少しでも微笑ましく喜んでくれているでしょうか?

願わくは、その通りで有らんことを!!!
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2009年06月30日(火) 
 
夢見る君が 夢見る僕と ふたりひとつになって 恋していたころ
初々しく咲いた 可愛らしい ちいさなバラを ひとつ
プレゼントしてくれたっけね
汚れを知らないこころにあふれた 若い恋する花を

その花のメッセージは 「初恋 一生忘れない 青春の想い出」
なんども なんども ふたりでささやいたね
それは この想いを ふたりのしるしを 秘密の約束を
いつまでも どこまでも ふたりだけのものに したかったから

それからあっというまに 時は流れ もう3年
あのころの ふたりの恋は まるでまぼろしのように
どこかへ飛んで行って しまったね
だけど あのバラの幸せな想い出は 消えていないよ
僕のこころのなかで 君のこころのなかで 
永遠に 生き続けるんだ

でも ときどき 切なくなるんだ
だって あのころを 振り返ろうとしても
もう あのバラの花も あの熱い気持ちも
みんな 青春の美しい想い出に なってしまったから
風が吹いて 花もこころも 大空のむこうへ 飛んでいってしまったんだ

いまさら想い返しても しかたがないのかも しれないけれど
君の気持ちは 僕の気持ちと いつもすれ違っていたのかなぁ?
でも 僕のこころは ずっと同じように ときめき続けているよ
あのころも いまでも いつまでも 変わらずに

そのピュアな気持ちのしるし 今度はすみれ 君にあげるよ
切ないけれど せいいっぱいの想いをこめて
君にあげるよ この青いちいさな花を

これは僕の気持ち このすみれの色
いつかは切ない別れが来るのが ふたりの運命だったのなら
その道のそばの ちいさな割れ目に 咲いている この花
だれにも気づかれないけれど きれいな花 ひとつ

知ってる? すみれはね 「誠実さ はかない恋のしるし」
僕の気持ち どこかで感じてくれているといいなぁ
君はもういないけれど…
どこか僕の知らない遠いところへと
羽ばたいていってしまったけれど…

(ポール・ヴェルレーヌ『恋の詩集』 鈴木信太郎 邦語訳 より重訳)
2009年06月29日(月) 
 
痛いのは自分だけだと

思っていた

この想いがいつまでも報われない責任を全部あなたに

押しつけていた

自分の弱さ愚かさ罪深さから目を背けるために…

本当の安らぎを捨てて偽りの逸楽に逃げるために…

本当にごめんなさい

あなたが私のことをどんなに大切に信じ続けてくれたことか、いまやっと分かりました

お許し下さい

私はこんな未熟で愚かしい所もいっぱいあるひとりの人間に過ぎないのです

あなたの想い描いているような理想のヒーローではまったくないのです

それはあなたにしても同じことでしょう

きっとそうなのでしょうね

だから、だからこそ!、これからも信じて欲しいのです

ひとという生き物は、こんな不完全さを抱えているからこそ、素晴らしいのだと想うのです

私も信じ続けますよ

これからもずっと

心の底から

喜びに溢れて!
2009年06月29日(月) 
 
真実に不可思議なのものです。

お互いにとても真剣なのに、いや、真剣になればなる程、嚙み合わなくなるのです。

誠実であろうと一生懸命になればなる程、却って誠実さを疑われてしまうというこの世の悲劇的定め。

これは男女関係・人間関係に限った事では無いような気がします。

陰陽相対立する二つの存在が一致するのはほんの一刹那。時間も空間も消滅した次元に於いてのみ実現する世界。真に実現するのはその一刹那だけで、次の或いは前の刹那とその無間の延長では実体のない空漠とした幻影に過ぎないものと化してしまう…。

一体何故このようなメカニズムでこの宇宙は造られてしまったのでしょうか?何かの間違い?いや、全てが始まる前から周到に計画意図された、何者かの手に由る神秘的な悪戯なのでしょうか?

そこに何らかの積極的な意味を、我々人間は終に見いだすことは本当に可能なのでしょうか?

永遠の迷宮は、実は裸の王様の遊技場に過ぎない…?

あぁ、誰かの笑い声が聴こえて来る… 私はもう壊れてしまったか… 余りにも都合の良すぎる空しいゲームはもう終わりか…!?

いや、希望だけは決して捨てまい…

最後の最後まで…

他の何を失おうとも…

それだけは…

絶対に…!

絶対に!!!
2009年06月21日(日) 
 
★ヘルベルト・フォン・カラヤン
Herbert von Karajan
オーストリアの指揮者。ベルリン-フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼主席指揮者など、欧州各地で活躍(1908~1984)

☆ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart
オー ストリアの作曲家。ウィーン古典派三巨匠の一人。幼時から楽才を現し、短い生涯中、600曲以上の作品を書いた。18世紀ドイツ・フランス・イタリア諸音 楽の長所を採って整然たる形式に総合し、ウィーン古典派様式を確立。多くの交響曲・協奏曲・室内楽曲のほか、歌劇「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァン ニ」「魔笛」などがある。(1756~1791)

(広辞苑 第五版 より引用)


この二人のこと、私、非常に愛してはいるのですが、或る一点からずっと何処かで敬遠し続けて来ました。

私 がクラシックの世界に独り入門したのは五年前の夏。最初の最初はかの有名なショパンの夜想曲(ノクターン)に触れましたが、それからしばらくはモーツァル ト一辺倒。とは言っても何が分かっていた訳でもなく、ただ「超天才」という一般的で表層的な歌い文句に軽~くノせられていただけです。もちろん映画「アマ デウス」もDVDで観ました。

始めに聴いていたのはメジャーなピアノ協奏曲(コンチェルト)や交響曲(シンフォニー)と良く「ライトクラシック」と称して売られているいいとこ(だけ)取りのオムニバスばかりでした。軽薄で人間臭くて流麗なんですね、現代日本人大衆に受けやすいモーツアルト像は。

カ ラヤンの一般的イメージも同じような感じです。彼は20世紀クラシック界の「帝王」と徒名されていた指揮者で、男性的な力強さと華麗さが大衆に熱狂的に持 てはやされた反面、「解る」人たちからは「金と権力の亡者」「表面だけ豪華な響きで内容が無い」などとぼろぼろに貶されてきました。

私の中でこの二人が出会ったのは入門してから五ヶ月程を経た時期。あまりにも有名なト短調交響曲(四拾番)第一楽章をカラヤンの指揮とベルリン・フィルの演奏で収録しているオムニバスCDを、何かの運命なのかTSUTAYAで借りて来てしまったのです。

衝 撃でした。暗過ぎる、陰鬱、というか悪魔的。ノリは怒濤の洪水が激しい感情を以て障害物を全て押し流しながら流れ去って往くかの如し。特に展開部で不気味 に変形された主題。第一楽章はソナタ形式という構造で書かれていて、曲冒頭に呈示された第一主題と第二主題を起承転結の論理で様々に変化発展して往くので すが、その「転」に当たる展開部が、人間離れして怖いのです。何だろう、いつも優しくて暖かい人間味溢れるパパの中に誰にも(本人にさえも)知られる事無 く潜んでいた、永年に亘って鬱屈して積もりに積もった破滅への衝動が、彼(モーツァルト、カラヤン、…!?)が人間の姿形を保ちつつも悪魔に魂を売り渡し たかの如くその顔面を表に顕した、そんな刹那。

それから二ヶ月ばかり、こればかりに嵌りまくっていました。というか何かの深淵に嵌められてしまいました。

はっきりと覚えております、現在でも私の内心に救いようの無い暗い影と深刻な苦悩を投げかける或る事件が起こったのは魔裟にその頃でした。

何かの運命でしょうか、あぁ!?

そ れから四年経ちました。その間クラシックを始めとする多種多様の音楽を聴き倒しました。憑かれたように熱狂して脳裏から離れられなくなったものも幾つも有 りました。もちろんモーツァルト作曲あるいはカラヤン指揮の演奏に沢山沢山感銘を受けてきましたし、かのト短調交響曲をカラヤンが指揮している別のCDも 購入しました。

しかし、あのときの「憑かれ果てた挙句に現実に破局するに至った」経験は二度と訪れることなく彼岸か地獄かへと飛散霧消し てしまい、摑まえて問い糾してけじめをつけさせようとしても今更如何とも出来なくなってしまいました。。今更あの部分を聴き直してみても、幾ら思い詰めて 考えたり行動したりしても、殆ど何も解らなくなってしまったのです。

これは人生という道を最後まで極める為には何者でもどうしても避けて通ることができる必須の試練だと云うのでしょうか?

今でも解りません。いつの日にか全てが明らかに成ることがあるのかも解りません。あれだけは。

あの刹那だけは。


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