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宇宙の片隅で想うこと、感じること、考えること
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 2009年07月18日(土)
今晩は久しぶりに軽い音楽を聴いています。モーツァルトのピアノ・コンチェルト。作曲者最晩年(といっても30代前半)のを。最近、疲れています。非常に。今日も死ぬ気で果たそうと努力した約束が終に徒労に帰し、殺伐とした虚脱感に激しく襲われての帰路でした。運命が尽く自分に意地悪しているかのような呪わしい今日この頃です。 そ んな気分を少しでも晴らし癒してくれるのは、私のこの気持ちとシンクロナイズするような深刻な作品でした。哲学にしろ文学にしろ芸術にしろ。洋物で言え ば、19世紀末から二次大戦にかけての凄まじい緊迫の時代の過激な産物とか(音楽だったら、ソ連時代に生きた異常なほど神経質な作曲家ショスタコーヴィチ など)。書物では、近頃はサディスティックな古代政治思想家・韓非子とか万葉集・勅撰和歌集の哀傷歌(死者への哀別歌)とか過激志向の宗教モノ(コーラン とか日蓮宗とか)が多かったです。 どうも不健康ですね。どうかしています。こんな不景気とはいえ物質的に繁栄しているとりあえず平和(呆 け)な時代の若者なのに(だからこそかも痴れませぬが…)。有る意味、ハードなロックに走った少し前の若者と通じる心境ではあるとは想いますが。現実への 不満が爆発寸前という動機でも。ただ、私は社会を変革する運動に力を貸す気はさらさら有りませぬが。根本的に現世に失望しているので。倦怠と虚脱。 ただ、こんな鬱屈した気持ちを抑制して無理に笑顔で元気に振る舞っている現代日本人(特に若者)は決して私だけではないと想うのですが…。「おくりびと」や「蟹工船」がこんなにヒットする根底にも何かがあるのではと勘ぐるのですが、非難されるべき言いがかりでしょうか。 ここまで書いて、モーツァルトのディスク終了しました。例によってショスタコに切り替え。まあいい。でも、何でモーツアルトの清澄で明快な音楽を聴きながらここまでこんな滅茶苦茶な文章書いて来たんだろ…?天才の悪戯、神秘、不可思議摩訶不思議。 誤 解を招くといけないから申しておきますと、今の私は精神的には充実しています。ぎりぎりの闘いをしているから(独りよがりナルシストですが)です。過激な もの読んで聴いて書いているかといって、現実に過激なことは出来ないです。臆病な小心者ですから。つまり、心の内奥に溜まった毒をこうやって浄化している のです。カタルシスです。これが出来るから、精神的なバランスを何とか維持できるのです。これが文化というものの意義だと想うのです。 平和なハマっち!上でこんな文章垂れ流して御免なさい。悪意は無いですし、辛いことを辛いとはっきり言うことは人間としてむしろ健康なことであるとすら想っています(逆説的ですが)。ご批判・ご要望がございましたら、遠慮無くおっしゃって下さいな。 さて、錯乱した我が儘な文章はもうここで切り上げます。疲れましたので、疲れさせましたので。ここまで我慢して読んでくれて有り難う。感謝。お休みなさい。 PR
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1984/03/20
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